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大雪山系、石狩岳を源流とする「北海道の母なる川 石狩川」はここ八幡町で270Kmの旅を終え日本海に注ぐ。
ここはその昔(昭和の初期)には150万尾もの鮭の漁獲を誇ったが、高度成長期に入ると内陸部の開拓、開発のため漁獲は5,000尾ほどに激減。
それとともに人々も消えた。
昭和の40年ころから漁民の公害闘争が実を結び、平成10年には22万尾が戻ってきた。
![](https://static.wixstatic.com/media/cc494f_1e6300ac8503f1776bf803f29b405843.jpg/v1/fill/w_662,h_441,al_c,q_80,usm_0.66_1.00_0.01,enc_auto/cc494f_1e6300ac8503f1776bf803f29b405843.jpg)
赤い筒袖(つっぽ)の やん衆がさわぐ
雪に埋もれた 番屋の隅で
わたしゃ夜通し 飯を炊く
あれからニシンは どこへ行ったやら
破れた網は 問(と)い刺し網か
今じゃ浜辺で オンボロロ
オンボロボロロー
沖を通るは 笠戸丸(かさとまる)
わたしゃ涙で ニシン曇りの 空を見る
この曲を作詞した「なかにし礼」一家は満州から引き上げるとこの近くの「朝里」で「ニシン漁」を始めるが間もなく事業に失敗し、一家離散となる。
この曲には彼の幼少時の想いが込められている。
![](https://static.wixstatic.com/media/cc494f_677430e2fafb4a1ed02b928433fe2b27.jpg/v1/fill/w_147,h_98,al_c,q_80,usm_0.66_1.00_0.01,blur_2,enc_auto/cc494f_677430e2fafb4a1ed02b928433fe2b27.jpg)
![](https://static.wixstatic.com/media/cc494f_55ae9df9dc65d1f74f4deabdd845613c.jpg/v1/fill/w_147,h_98,al_c,q_80,usm_0.66_1.00_0.01,blur_2,enc_auto/cc494f_55ae9df9dc65d1f74f4deabdd845613c.jpg)
![](https://static.wixstatic.com/media/cc494f_7e08131ea654a4c117dd93b298e9bdec.jpg/v1/fill/w_147,h_98,al_c,q_80,usm_0.66_1.00_0.01,blur_2,enc_auto/cc494f_7e08131ea654a4c117dd93b298e9bdec.jpg)
![](https://static.wixstatic.com/media/cc494f_93a4d653edc2aedfd5e564020f09fa13.jpg/v1/fill/w_147,h_98,al_c,q_80,usm_0.66_1.00_0.01,blur_2,enc_auto/cc494f_93a4d653edc2aedfd5e564020f09fa13.jpg)
この曲を作詞した「なかにし礼」一家は満州から引き上げるとこの近くの「朝里」で「ニシン漁」を始めるが間もなく事業に失敗し、一家離散となる。
この曲には彼の幼少時の想いが込められている。
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